マンガの世界には、雑誌には掲載されたものの、単行本に収録されることのなかった、いわゆる「封印作品」というものが存在する。

ネットやコンビニ本などでも、差別表現や現実の事件トラブル、事実誤認、読者からのクレームなどでお蔵入りになったマンガがよく紹介されている。

ところが、そんななか、意外な封印作品の存在が明らかになった。
その作品とは、さくらももこによるほのぼの日常系マンガ『ちびまる子ちゃん』(集英社)。
「ええ! あの国民的マンガに封印作品なんてありえないでしょ!」とびっくりした方も多いだろう。
だが、『消されたマンガ』(赤田祐一、ばるぼら/鉄人社)によると、「りぼん」(集英社)1995年2月号に掲載された「ちびまる子ちゃん」第98話が、単行本に収録されることなく、葬り去られているらしいのだ。


といっても、花輪君が貧乏人に差別発言をして問題になったとか、友蔵の扱いのひどさに「老人虐待だ!」とクレームが殺到したとか、そういうことではない。
作品が封印された理由は、同書によると、内容が「あまりにサイケ」だったから。


どういうことか。さっそく国会図書館で当時の「りぼん」を閲覧して問題の第98話を読んでみた。


「まる子、夢について考える」と題されたこの回。
お話はいきなり洞窟の中、怪しいお面をつけた邪教徒の集団が「神よ力を与えよ」と叫び踊っているシーンから始まる。
その様子をソッと覗いていたまる子だったが、彼らに見つかってしまい、とらわれの身に。
すると、そこに王子様が登場。
まる子を助けて、邪教徒たちをやっつける。
邪教徒がお面をはずすと、なぜか藤木に永沢君。
と、まあここまでは夢の話としてはありうる展開だ。

ところが、ここからがすごい。
かたわらに小杉の死体が転がっていて、ハエがたかっている。
同級生の死体にハエがたかっているのに、まる子は王子様からプロポースを受け、舞い上がる。
と、なぜか平安時代の十二単の格好をした野口さんが登場。
でも、野口さんが「ここは平安時代ではない」というので御簾のすきまから外をのぞくと、そこはアメリカのブロードウェイ。
ブロードウェイで劇を見ていると、登場した女の子が子ども時代のまる子の母親。
気がつくとまる子はおばあちゃんの家にいて、子ども時代の母親に「起きなさい」としかられる。

もうなにがなんだかわからない。
たしかに夢というのは不条理なものだが、これはいくらなんでもヤバすぎる。
しかも、このサイケな世界はまる子が夢から覚めた後、翌日の教室でもとまらない。
夢で見た王子様が前世の恋人だったという妄想にふけるまる子、つられて自分がアルプスの少女になった妄想を始めるたまちゃん、永沢君と藤木を邪教徒の生まれ変わりよばわりするまる子、現実の世界でも邪教徒のお面をかぶる藤木、王子様のことが忘れられず泣き出すまる子、節分用の豆を盗み食いする友蔵……。


いったいなんでこんな作品が生まれてしまったのだろうか。

同書によると、作者のさくらももこは当時、超多忙をきわめていたという。
前年に長男が生まれ、別雑誌で新連載が始まり、エッセイ集の締切とアニメの放送再開が迫るという状態。
つまり、多忙のせいで頭の中がお花畑状態になってしまっていたということなのだろうか。
しかし、アシスタントも担当編集も編集長も「これ、おかしいぞ」と気づかなかったのか。
思ってはいたけど、大センセイには誰も何もいえなかったのか。


いずれにしても、後にさくら自身がこの作品を読み返して、単行本収録の見送りが決まったということのようだ。
この「まる子、夢について考える」が収録される予定だった単行本13巻には「今回のコミックスに第98話を収録することは悩んだ末に控えさせていただきました」というお断りが掲載されている。
つまり、この封印作品は内容があまりに「スペシャルすぎる」からお蔵入りになったという、大御所ならではの珍しいケースなのである。


ちなみに、この『消されたマンガ』には、他にもさまざまな封印マンガを紹介されている。
「ロボトミー手術」をそのまま描いてしまった手塚治虫の『ブラック・ジャック』にはじまり(秋田書店)、中国人や韓国人差別だと問題になった梶原一輝原作の『おとこ道』(秋田書店)、実在の校名と生徒名を使ってしまった『私立極道高校』(宮下あきら/集英社)、旧日本軍を連想させる描写が問題になった『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治/集英社)、地下鉄サリン事件を偶然予言してしまった『MMRマガジンミステリー調査班』(石垣ゆうき/講談社)……。
やはり多いのは、差別や事件がらみのトラブルだが、一方で、盗作、不祥事、原作者との対立など、マンガ家自身の問題が原因になったケースもいくつか掲載されている。


日々、締め切りと読者アンケートのプレッシャーに追いつめられているマンガ家たち。
封印作品を生み出すリスク要因は彼らの心の中にもあるということかもしれない。