伊勢神宮参道に本店を構える和菓子メーカー赤福(三重県伊勢市)でお家騒動騒が勃発した。


4月に社長の浜田典保(のりやす)氏が事実上の解任となり、新社長には実母の勝子(まさるこ)氏が就任。
典保氏は平成19(2007)年に消費期限の偽装が発覚し経営危機に陥った赤福を立て直したが、名物みやげ「赤福餅」を全国に知らしめた先代社長で実父の益嗣(ますたね)氏ら両親と経営方針をめぐり確執があったといわれる。
消費者不在の親子ゲンカが宝永4(1707)年創業の老舗の「のれん」を傷つける結果を招いている。

「従業員の皆様へ」。4月23日、新社長に就任した勝子氏は、こう題した文書を社内で配布した。
その中では、今後の赤福について「未来に向けた経営を志向するため、『のれん』に象徴される理念に基づく経営を目指す」と強調した。

赤福では同日、臨時株主総会が開かれ、典保氏の社長退任が決定。勝子氏はその後の取締役会で新社長に選ばれた。
典保氏は、代表権のない会長に退いた。
赤福は「経営体制変更のため」との説明にとどめるが、「のれん」を重視する古くさい家族経営からの脱却を図った典保氏が、事実上解任されたとみられている。

歯車が狂い始めたのは、19年に発覚した消費期限の偽装問題だ。

赤福で消費期限の偽装や商品の再利用などが常態化していたことが発覚。
食品衛生法違反で3カ月の営業禁止処分を受けた。
当時会長だった益嗣氏は引責辞任し、17年から社長を務めていた典保氏は経営再建のため続投することになった。

民間信用調査会社によると、典保氏は社内のコンプライアンス(法令順守)を徹底し、社員提案なども導入して企業風土を改善。
作り置きできない生産ラインを導入するなど、「家業から企業へ」の理念で近代的な企業経営への転換を進めた。
その結果、業績は回復し、20年9月期に64億円だった売上高は、25年9月期には92億円まで増えた。
この年には伊勢神宮で20年に1回、社殿を造り替える式年遷宮もあり、足下の業績も好調に推移しているとみられる。

一見、典保氏は赤福を立て直した功労者だが、益嗣氏らが不満を募らせていたようだ。

益嗣氏は株式会社の2代目社長として手腕を発揮。
また、毎月趣向を変えて発売する「朔日(ついたち)餅」を発案するなど、地元では赤福を全国区に押し上げた名経営者とみられている。
また、伊勢神宮脇に観光商店街「おかげ横丁」を完成させ、国内有数の観光地として知らしめた。
地元財界の有力者でもある。

そんな益嗣氏が“理想”としていたのは、株式会社化後の初代社長で祖母で、典保氏からみると曾祖母の故ます氏。
品質重視の姿勢を貫き、現在の赤福の礎を築いた中興の祖とされる。
関係者によると「益嗣氏は近代化に走る典保氏に危機感を抱き、勝子氏を中心に、ます氏の時代のような『家業型』経営に戻ろうとしている」という。

事実、ある地元市議は、「益嗣さんは普段から『赤福代々ののれんを守っていかねば』と口にしていた」と証言する。

益嗣氏は、赤福株の8割以上を保有する筆頭株主の不動産管理会社、浜田総業の社長を務め、影響力を確保していたという。
19年に“志半ば”で経営の実権を手放しただけに、事業への意欲はいまだ衰えていないようだ。

その一つが「第2おかげ横丁構想」だ。
益嗣氏は常々、「はたごのような外観で、ビジネスホテル並みの低料金の宿泊街を建てる。
そこでは夕飯を出さず、宿泊客がおかげ横丁などで食事するような流れを作りたい」と考えており、県や市、財界の間で水面下で調整されているという。

とはいえ、益嗣氏も勝子氏も70歳を超える高齢だ。
地元関係者からは、「近いうちに新社長が決まるのではないか」との声も聞かれる。
地元県議は「将来的には次男の吉司氏(おにぎりせんべいのマスヤ社長)に譲り受ける算段があるのかもしれない」とみる。

一方で、典保氏が復帰するとの見方もある。
今回の人事で、新たに典保氏の妻の朋恵氏が取締役に名を連ねた。
「将来の『おかみ』を期待されているのかもしれない。
今回は、従来路線を離れて突っ走ってきた典保氏にお灸をすえたのではないか」(財界関係者)との見方もある。

益嗣氏らは多くを語らないため、お家騒動は憶測が憶測を呼ぶ事態に発展している。
少なくとも、親子間のクーデターともいえる今回の泥沼人事で、赤福のイメージダウンは避けられない情勢だ。

「赤心慶福(せきしんけいふく)」。
赤福の社是で、人を憎んだり、ねたんだりという悪い心を伊勢神宮内宮の神域を流れる五十鈴川の水に流すと、子供のような素直な心(赤心)になり、他人の幸福を自分のことのように喜んであげられる-という意味だ。
果たして赤福は、赤心を取り戻すことはできるのか。